喜聞屋

はやく旅ブログ書けや

と突っ込みつつ、葬られつつあるブログ事情

それよりまず、おっ!ユニーク!的な案を思いついたから、書きなぐっておくよ

 

 

 

 

大船渡の災害復興ダンプ(かさ上げ土を運んでんのかあれ?いつもありがとうございます、ご苦労様です)

のフロントガラスのエアコン吹出口辺りにある

「金と女とセックスと」とか「我ら〜集団」

みたいな、プレートがささってる。各ダンプ一台ずつ謳い文句は個々それぞれ。

それは昔の特攻服の背中の夜露死苦!って刺繍みたいな、なんなのか、はたまた「浪速の拳骨」や「荻窪の竜巻」のような2つ名なのか。

よくわからないけど、それをすれ違い様に見るのが好きなんだよね。

沿岸道路を走る楽しみって海を見るとかが一般的だと思うんだけど地元からすれば、海を見る=天気予報であって、夕暮れが沈む地平線が綺麗だとかクサい歌詞みたいな雰囲気は求めないわけ。

海を見飽きても沿岸が好きなあなたは今度はユニークなダンプを見てみることをオススメします。

 

 

 

 

ってーかそんな話どうでもいいんだよ

 

 

ある日いつも通りダンプの謳い文句をすれ違い様にみたら、気分屋という文字に当て字で喜聞屋〜と書いてあった。

実にユニーク!!!!

これ、いいね!喜んで聞くんだぜ。

それか嬉しかったことを聞かせてなのか。

それはどっちでもいい。

そこでひらめき。

デカイ公園かどっかで、ビニールシート張って

通りすがりの人の

最近嬉しかった事とか、

聞いてほしい事とか、

色々話せたら、初対面でも、話せそうじゃない?

んでコーヒー豆持って行って、お湯はどうにかして豆を挽きながら、コーヒー飲みながら話しましょうや。なんでもない話。

 

いいね!

って思ってたけど、なかなか行動へとは繋がらず。

良い案だなぁと封印していたけど、

最近、岩手のシンガーソングライター。

憧れのまっと君のライブ見に行って、思った

まっとくんの歌ってキチンと歌詞が入ってくる

色んなアーティストのオリジナル聞くけど、

大体、ありそうな歌詞だなって思ったり

して、歌詞や言葉の言い回しも個性をだす重要なツールだなって思っていた矢先に、こんな軟水みたいにツルツルと喉越しがいい歌詞はなぜなんだと思ってしまった。

もちろん独特な言い回しもあって秀逸なんだけど、なぜこんなに聞き入ってしまうのか。。

 不思議過ぎた。もしかして、聞かせ方なのか?

好きなアーティストってやっぱ聴き入るよな

聞き取れない部分リピートしたり

歌詞カード広げたり。

好きにさせるって…えぇ…

まっと君の歌詞で泣いてまっと君のこと好きになったからなぁ。やっぱ、、人間らしさとかが必要なのか…?と、ぐるぐる。

そして相変わらずまっと君には愛がある。

なんでこんな愛あるんだろう。

きっと沢山の人と、出会ったからだろうと思っていた。あれ、でもおれもヒッチハイクで色んな人に出会ったのになぜ…

 

考えた果て結論に至ったのは、まっと君はとにかく褒めるということ。

褒めるって愛なんだろうな。

 でも褒めるエネルギーってハンパなく疲弊する

 

ライブ後、人を愛する事で歌詞の書き方が変わったよって話してくれた。

うーむ。深い。

感覚的なはなしをするけど、

最近のおれ歌は偏りすぎて傾いていると悩んでいた。中間にありたいなぁって。

中間かぁ。必要なのは愛かもなぁと思った。

芸術には愛が必要なのかも。

た、た、単純だ、、

 でもさ、思うんだけど、手探りで手ぐすね引いていかないと、つまり、進もうとしないと見えないと思うんだよね、自分の音楽とか。

(イタイのはわかる笑こんな事言ってる奴イタイってわかるよ〜。俺見たら絶対思うもん。でもここでは晒すよ)

 

んで

話し飛ぶけど、最近鋼錬見てんのね。

あ、一応3巡目だからミーハーじゃないよ

ミーハーなんておれのルサンチマンの根源

だからそう思われたら終わりだと思ってるのよ

あ、話し逸れた。

んで、なんだっけ、鋼錬な。

鋼錬さ、等価交換とか言ってるけど、

愛って対価なしにものを得られる

等価交換の原則もクソもない、最終兵器リーサルウェポンなんだと思うんだわ。

 この世は等価交換で溢れてんだよ。

愛だけが、対価なしなんだよね。

 

 

んで、まっと君の褒める愛に戻るね。

わかりにくくてごめんね。

 

愛を与え続ける人の人格の成れの果てが

まっと君だと思ったのね。

色んな人のクソな部分でさえ、そこだけにフォーカスを当てずに、愛をくれる人。最強よ。

 

俺らがいる空間は愛が足りなすぎるよ。

昨日の電話越しのリゾバのねぇちゃんにもさ。

何が言いたいかって言うと、たぶん俺も人に嫌われるの怖すぎて、人をめっちゃ見る癖があって、その人の行動に気づきやすい。

なら少なからず、褒めれる要素も見つけれんじゃね!?愛、渡せれるんじゃない!?

と思った時に、喜聞屋のアイディア登場よ。

 

 

沢山の人、話し聞かせて頂戴。

言い合いになれるくらい大好きな人にも出会いたいし、スッキリオナティシュにもなるからさ。

話しを聞かせてくれたあなたへ少しでも愛や褒めをパスしたいのよ。 

 

喜聞屋をやる理由が人の話しを聞いて、少しでも愛をパスしたいから。

 

なぜ愛をパスしたいかって、自分のなんかがレベルアップしそうな気がすんのよね。

ここに見返りを求めてるのが嘘くさいけど。

 

愛をパスし続けて生まれてくる自分の中での何かに少なからず期待を抱いている。

そして愛をパスできるバイタリティが欲しい。

心の余裕的ななにか。

あ、でもね全然返ってこなくていいのよ。

自分に合ってそうだなって仮説のもと、

案だったわけで、やってみて、しんどっ!

ってなったらまた別の方法を考えてみようと思う。

 

やったけどなんもないでしたーでも結構!

少なからずであってものすげぇ期待はしてない

やらない限り始まらないみたいな気持ちで始めますよ。

 

 

 

 

追記

 まっとくんになりたいとかじゃなくて

おれの武器で俺なりの作り方をしたいのだ

結局良い曲を作りたい。いつもここにつく。

短所だらけだのおれにも長所があるはずなんだ